「10年後?わかんないや」って今の僕

先日金八せんせい見てたら色々なつかしく思い出しました。

ほんとただの自分日記です。





10年くらい前にスクールインターンとしてアメリカの小学校に行ってました。何やってたかというと折り紙教えて季節のグリーティングカード作ったり、お習字教えたり、簡単な日本語教えたり、あとは普通に授業のサポート的なことしてました。私の受け持ちは小学校一年生のクラスでしたが、各学年からリクエストがあれば行って日本文化を簡単にご紹介するといった感じです。言うたら先生ごっこみたいなもんです。薄っぺらくてすんません*1。正直全然英語話せない状態で行って、行ったら何とかなるだろうっと思ってたけど全然なんとかならんかったー*2(笑)でも子供は言葉通じなくても言いたいことは伝わるもんだね。こっちが言いたいこと一生懸命聞いてくれようとするし。考え方とか行動とか日本の子供より子供っぽくて接しててすごいおもしろかった。中には「Miss○○(←わたし)はオレのボスじゃない」なんて言う7歳児*3もいて、はっきりしてんなオイッ!って子もいたけど(笑)ブロンドにブルーアイズの幼稚園児*4とか、まじお人形さんで夜な夜な持ち帰り作戦を考えたこともあったなー。
でも、そんな天使みたいに見える子供達も結構家庭環境複雑だったりするわけで。長い夏休みが嫌で泣き出した子がいて、なんでかって言うとお母さん*5が家にオトコを連れ込んで全然ご飯も作ってもらえないし、構ってももらえないから家にいるのが辛いとか。夏休みが楽しみじゃない子供なんてこの世にいるんかっ!?って思ってたからその事実にショッキングでした。あとは、小学校一年生ですでに落第して二回目の一年生の子とか。小学校で落第とかトットちゃんでしかきいたことねー!その子も母親が妊娠中にドラッグばっかりやってたからアホになったドラッグベビーなんだって言われてた。地域柄メキシコ人の子も学校には多く、家庭差はあるけど貧しい子なんかは平日でも家族と共に生活費を得るためのフリマとかに駆り出されてあんまり学校に来れなかったり。まぁそういう子たちが割りとゴロゴロいました。暗い背景抱えてる子たくさんいたけど、でも学校来るとみんな楽しそうでキラキラしておったよ。やっぱ学校って友達って偉大だなーと思ったもんです。私は本物の先生じゃないし、叱れるほどの英語力も資格もなかったから、甘やかす一方だったおかげでずいぶんなつかれました(笑)本物の先生には話せないことも私にだけは話してくれた子もいたし、教えてあげた折り紙を家で作って翌日にプレゼントしてくれたり、かわいこちゃん*6に「先生と結婚してくれ」って言ったら「Oh Nooooo!!!!!」とマジな返しを受けて若干なみだ目になったなんて言わない。言わないよっ!!天気のいい日には外のテーブルでクラスのみんなでお弁当食べたり、憧れの黄色いスクールバスにも乗せてもらえたし、わたしの誕生日に職員室でサプライズしてくれた時はリアルな「オーマイガー!」が出ましたけども(笑)いやー楽しかったなあ。
学校に行く最終日初めて出欠をとらせてもらったんだけど、途中から泣けて泣けて声なんてブルブル震えちゃってんの。でもその時点で子供たちは、私が最終日だってこと知らなかったからきょとーんとしてた(笑)学校では一応先生という立場上生徒とあんまりハグしたり、膝に乗っけたりとかベタベタしちゃダメって言われてたけど、最終日に帰るとき教室のドアのところで一人一人ハグさせてもらった。小さくてやわらかくてあったかいあの感触を思い出すと今でも胸がきゅっとなる。昨日クラスの子20人の名前思い出したら覚えてた。意外と覚えてるもんなんだな。やるじゃん脳みそ!



あれから10年以上あの時の生徒はたぶん高校を卒業してる頃です。ひゃーー早いわーー!あの可愛かった子達は今どうなってるんだろうと考えると、楽しみでもあり、恐怖でもあります(笑)ケツあごになっちゃったかな?ふとっちょになっちゃったかな?タトゥーとか入れまくっちゃったかな?髪の毛ミドリに染めてモヒカンかな?*7とか。時間の経過って時に残酷だったりするでしょ?ミカンの人のように。まぁどんなになっても、あの頃と同じようにピカピカに笑ってくれてたらそれでいいです。



彼らの中で私を覚えてる子なんて一人もいないと思うけど、いつか会ってみたいなーと、通勤電車の窓の向こうに見えるあの土手を見て思ったのでした。おしまい。

*1:なぜか謝ってみる

*2:それは今でも

*3:この子授業中こっそり教室抜け出してトイレに籠城したりするおもろい子です^^

*4:しかも双子

*5:16、17で出産したシングルマザー

*6:小1

*7:アメリカ人の若者に偏ったイメージを抱くわたし笑