何度でも咲き誇るようにはじまりを描いてゆくよ

もう4月も2週目だそうですね。なにそれ聞いてませんけども。
ちゃんが終わり、マチーシャも終わった。そしてニノさんとマナブさんとトライさん*1が始まる。物事には全て始まりがあって、終わりがある。終わることは寂しく悲しいことだけど、新しいことがそれを乗り越えてくれれば、終わったことがちゃんと意味をもち美しいものとなるのかもしれないですね。

この春、私にもひとつのお別れがありました。



愛犬がお星様になりました。9歳2ヶ月。ちょっと早いよねえ。病気を発症してから3ヶ月でした。あっという間すぎるよね。びっくりするよ。こんなに早くお別れになるなんて全然想像してなかったもん。もう、お散歩することも、いたずらされることも、鼻のあたまにキスすることも出来ないなんて呆然としちゃうよね。薬を飲み続けてでもなんとか寿命を全うさせてあげたかったけど本当に残念。私にとって初めて飼った犬だったし、やんちゃくれで手がかかった分愛情も思い入れも特別だった。可愛くて可愛くてしかたなかったです。闘病中の3ヶ月は不安と焦りと、自分に対してのイラだちとで正直精神的にキツイ3ヶ月でした。今日か明日かとビクビクしながら日々を送り、何度も何度も涙して。歩くのが辛くなった愛犬を抱っこしてお散歩した。色んな臭いを覚えていて欲しくて、重くて腕もげそうだったけど*2ぐるぐる近所をまわって、夜、桜が綺麗で悲しくなって、大泣きしながら歩いた。毎日色々考えて調べて、自分に出来ることの少なさを知った。ゴハンを食べることを一切拒否し始めてからはただ見守ることしかできない自分の無力さも思い知った。それでも思いつくこと、出来ることはやったつもりでいたけど、本当にそれがMAXだったかはわからなかった、けど、愛犬が息を引き取る瞬間まで腕に抱きながら名前を呼んで体をさすって、大丈夫だよって声かけて、最後にありがとうねで逝かせられたことが私のMAXだったのだとわかりました。それと、亡くなる週の月曜に先生に“もって今週いっぱい”と言われていたのですけど、その一週間を丸々フルに生きてくれて*3、最期、目を見て旅立ってくれたことが、愛犬にとってのMAXで、私への精一杯の恩返しだったのだと思います。お利口さんで優しい子。えらかったねがんばったね。いいこいいこ。

火葬の際、祭壇に犬を寝かせ、お線香をあげてくださいと言われ、そうしていると、うやうやしく読経が聞こえてきて、え?と振り返ったらCDラジカセからお経が流れていました。あまりにも堂々とラジカセが置いてあり、その堂々ぶりにちょっと可笑しくて泣くに泣けなかったです。あの瞬間なんとなくゆるい空気が流れて、きっと愛犬の仕業だったのでしょう。いよいよ最後の時、母は号泣し、父は「チャリー、バイバイね」と最後まで名前を少し間違え*4、私は、ありがとうね、また会おうね、もし生まれ変わっても必ず探すからねって心で話して、頭を一撫でしてお別れしました。それからは淡々と事が運び最後にお会計を済ませたところで、急激にお腹が減って、こんな時でもお腹がちゃんと減る自分の呑気さに自分自身が救われた。なんだかなあ。


今は一人に戻って、ぽっかりしてしまったし、見える世界も変わり、気持ちが追いつかない時もあるけど、色々思い出して泣いたり、笑ったりです。まあでもおおむね元気です。昨日もやっと観れたさくらばのチューをゲラゲラ笑いながら何度もリピートして、相手が相葉くんにもかかわらず、翔さんのいい感じに傾けた顔がイケめてて憎たらしくて、白い部屋の大宮のサイズが小さくて可愛くて永遠にその部屋に二人を閉じ込めたくて、末ズのババぬきがラブくてやってらんねーよ!ってヘラヘラできるくらいには回復しています。時間の流れはありがたいです。




これから先、桜の季節になるときっと切なくなるだろうけど、それでも誰かと、出来ればあらしと(←)、ちゃんと笑っていられたらいいなあと思います。
9年と2ヶ月、本当に愉快で幸せな時間をくれた愛犬に感謝。ありがとう。だいだいだいだいだいすき。

*1:じゃないけど、かてきょってことで自分の中でこう呼んでいる

*2:激痩せしても10kg弱あったので

*3:日曜の夜中に亡くなったので

*4:愛犬の名前はサリー